セラピスト時代の体験・思考・感覚を書いたブログも更新予定!

好きは、身近なところに潜んでる。ブログ・文章を書くことが好き。

こんにちは、愛弓です。

先日、『ブログや文章を書くことが好きなんだな~』と自覚しました。

 

  好きなことって、わざわざ『好きだ~』って思いながらやらないんですよね。

ただ、一生懸命になってたり、逃げるっていう発想がないまま向き合っていて。 ふとした瞬間、『あっ、好きなのかもしれない』って思って、『好きなんだな~』って自覚していく。

『好きなんだ』って気づくのって、出会う前でも、初めてスグでもなくて。

好きなモノと一緒にいろんな経験をしてからとか、それを手放しそうになった時とか、手放した後なのかもしれないなって。  

 

学生時代は、『みんなのように夢中になれるものなんてない』『好きなことがわからない』って悩んだ時期もあります。

セラピストになってからも、『”癒し”や”心”、”人と関わること”…仕事に関係のあることをのぞいたら、好きなことなんてないな(好きなことを仕事にしてるから、仕方ないけれど…)』と思っていたので、趣味や好きなことを聞かれるのが嫌でした。

でも、自分が気づいてないだけで、好きなモノって、本当はすごく身近にあることが多いんですよね。

少なくとも、私はそんな感じでした。   今回は、『ブログや文章を書くことが好きなんだな~』と自覚したので、そのことをひたすら書いてみます。

ブログや文章を書くことが好きみたい。

先日、noteを書きながら、初めて自覚してしまった。

私は、文章を書くことが好きらしい。

こうやってブログを更新してることが楽しいらしい。  

 

別に、パソコンに向かって笑いながら、『楽しいな~』と思って書いてるわけじゃない。  

誰かのように、文学的な文章を書けるわけでもないし、正しい日本語を使える訳でもない。

楽しい話を書いて誰かを笑わせることが得意なわけでも、誰かのためになる話を教えてあげることができる訳でもない。

別に、ブログや文章を書くことに対して、ものすごい自信を持ってるわけじゃない。  

 

それでも私は、こうやって文章を書くことが好きなんだと思う。

”文章を書くこと”が恐くて、逃げた。

  • 幼い頃は、誰にも渡さない手紙を書いて、机にしまってたな~。
  • 小学生の頃は、クラスの男の子と作文の枚数を競ったことがあるな~。
  • 『先生は、作文を読まずに捨ててる』と信じていたから、言葉遣いとか、誰にどう思われるかなんて考えず、思いつくままに作文を書いてたんだよね。
  • 中学生の頃には、泣きながら作文を書たら、入賞したことがあったな。

 ブログを書くようになって、”書くこと”を思い出してみたら、いろんな記憶がよみがえってきた。

『昔は、”文章を書くこと”が好きだったのかもしれないな』と感じたし、そんなことは自覚してるつもりだった。

昔の私が”文章を書くこと”が好きだったとしても、今の私は違う』と。そう思ってた。

 

私が文章を書いていたのは、中1まで。

机にしまっていた手紙が、母に見つかり、笑われた。

そんなことを繰り返すうちに、手紙を書くことをやめてしまった。

誰にも言えない気持ちを表現できる場所を失ってしまった。

 

  小学校5・6年になれば、”周囲にどう思われるか”を気にして、思うままに作文を書けなくなってしまった。

それどころか、『この先生には読まれたくない』『何を考えてるかを知られたくはない』という思いが強くなって、作文が苦手になった。

本心を書くのが、こわくなった。

みんなと違うことにおびえて、『普通でいたい』と思った。

作文を書く時は、誰かのマネをしたり、当たり障りのないことを書いた。

 

  入賞した作文は、漢字が書けていないことや、めちゃくちゃな文章を書いてることを怒られて、『私は、恥ずかしいことをしてしまった』と思った。

自分の中で、人生の汚点にしてしまったんだと思う。

しかも、『学年でいじめられてる』と感じていた私にとって、学年集会で作文を読んだという経験は・・・。  

とにかく私は、文章を書かなくなってしまった。 自分の失敗が、”文章”になって、文字として形が残ってしまうことが恐くなった。

 

それでも今、『文章を書くのが好きなんだよな~』と思った。

ブログを書いてる時は、泣いたり、にやけたりする。

ブログを書く時は、カフェに行くことが多い。

そして、文章を書きながら泣いたり、にやけたりしてる。

 

はたから見たら『変なヤツだな~』『あやしいな』と思われてるだろうけど、文章を書きながら感情が溢れる瞬間があるのは、仕方ないと思うことにした。

にやけそうになったら顔を隠したり、笑いをこらえたりする。

泣きそうになったら、誰にも見られないように静かに涙をぬぐう。

 

たぶん、いつもの私だったら、”カフェでブログを書く”のをやめると思う。

でも、やめられない。

 

私は、家では集中できないし、自分の思いを表現できない

だから、カフェに行くしかないと思っていて。

周囲の人たちに『ヤバい人だ!』と思われないように自分を守ってブログをやめることよりも、”ブログを書く”ことを選んでしまう。

うまく説明できないけど・・・・やっぱり、”ブログ・書くこと”が好きなんだと思う。

周囲を気にせず、自分らしく書くのが好き。

何かを『書かなきゃいけない』と焦っていたり、『みんなに解るように』『人に不快な思いをさせないように』と思うと、文章を書くことができない。

頭がパンパンになって、何も思いつかなくなってしまうか、意味の分からない堅苦しいい文章ばかりを書いてしまう。

 

私は、自分のペースで、自分の書きたいこと、今の気持ちなんかを書いてるのが好きらしい。

自分の感覚を表現するのが好きらしい。

 

私は、そういう文章を書くのが好きみたい。

書き続けたのは、好きだから。

私はまだ、『”書くこと”が好きなんだ』って自覚したばかり。

でもさ、好きじゃなきゃおかしいんだよね。

 

確かに、私が文章を書くようになったのには、理由がある。目的がある。

『セラピストとして感じてきたことを伝えなきゃいけない』と感じ続けたからだったし。

『ブログを書いたほうが良いんだな』と感じるような流れがたくさん来たからだったりする。

 

そこに嘘はないし、私は『ブログは、自分の夢を叶えるための【1つのツール】だ』と思っていた。

『私は、ブロガーになりたいわけじゃないし、ブログで稼ぎたいわけじゃない。ただ、ブログを通じて伝えたいことがあるだけだ。』

『ブログを通じてたくさんの人に出会い、もっとたくさんの人に癒しを届けたい。』

 

とにかく、私にとって【ブログは、1つのツールなだけ】という認識だった。

 

”ブロガー”という肩書よりも、”セラピスト”という肩書の方が自分に近いような気がしてた。

それでも、既存の”セラピスト”という枠の中に納まりきらない私は、”ブログ”というツールを使って、私なりに”セラピスト”という枠を作りたかった。

むしろ、”セラピスト”という枠がなくても、”私の感覚”を表現することで、”愛弓”という1人の人間として、たくさんの人に癒しを届けたかった。

 

とにかく、私にとってブログというのは、【1つのツール】にすぎなかった。

『たくさんの人と出会える環境が作れたら、ブログは書かなくなるんだろうな』と感じていた。

 

でも私は、「誰かを想定して書く」とか「キーワードを狙って」とか…そういう頭で考えた書き方はしたくなかった。

そんなことよりも、自分が『書きたい』と思ってることを書いたほうが良いと思ってた。

セラピストになってからの経験や、感じてきたこと、感覚、考えたこと…そういうものを書いていけばいいと思ってた。

 

いざ書こうとすると、うまく言葉にできなかった。

 

全てがわかってるかのように、偉そうに書くのは違う。

何かを教えるために書くのではなく、自分の体験を通じて、必要なことには自ら気付いてほしい。そういう文章を書きたい。

周囲の反応(傷つく人がいないか・誤解されないか)を気にして、自分の考えを伝えられなくなったりもした。

 

ブログを書きながらいろんなことを考えて、いろんな遠回りをしたと思う。

ブログを書くのをやめて、『旅人になってみよう』とリュック1つで沖縄方面を旅したのもいい経験だった。

 

とにかく、ブログを書くようになってから色んなこを悩んで、うまく進めなくて・・・そんな状態でたくさんの時間が過ぎた。

でも、旅行をすれば、ブログを書きたくなる。

楽しいことがあれば、頭の中でブログのように言葉が流れる。

ぼ~としてても、頭の中で、ブログみたいに言葉が流れる。

 

いや、どう考えても、ブログ好きじゃん!って。

 

「ブログを書いても結果が出なかったら、嫌になってやめてしまう人が多い」とか、「誰も読んでくれなくて、ブログ仲間もいなかったら、嫌になっちゃうよ」なんて言ってる人がいたけど、私は大丈夫だった。

そりゃ、『寂しいな』と思うこともある。

でも『ブログをやめよう』と思ったことはない。

 

私はずっと、『セラピストとして、帰る場所がないからだ』とか、『”自分の感覚”を最大限表現して、今の私にできる”最高の癒し”を提供するには、ブログを書くしかないからだ』と思ってた。

 

私は、『お客様のためにならない』と感じることをできない。

『もっと~した方がお客様のためなのにな』と感じながら、それを伝えられないのは嫌だ。

だから私は、ここから逃げて、過去にいた場所に戻ることはできないと思ってた。私がブログを書き続ける理由は、それだけだと。

 

でも本当はさ、やりたいことを叶える方法は1つなんかじゃない。

ブログ以外にだって、たくさんの選択肢があるんだよね。

それでも『逃げたくない』と思ったのも、ブログを選んだのも…ブログや書くことが好きだったからなんだろうなって。

自分で認めることができなかっただけで、私はずっと”書くこと”が好きだった。

”自分の感覚”を素直に表現したいと思ってる。

それだけなんだよ、きっと。

自覚しなくても、好きなモノは身近にある。

私は、自分が好きなモノを『好きだ』と自覚してないことも多い。

 

自分でも気づかないうちに一生懸命になっていたり、『逃げる』『やめる』という選択肢がないまま向き合っていたりする

時には、別の言い訳を作って、そこにばかり向かおうとしてたるする。

『~ができないから』『他に居場所がないから』と言い訳をして、好きなことばかりしようとしてる。

 

表面的に見てそれが良くても悪くても、誰が何を言ったとしても…好きなモノは、好きでいいと思う。

たとえ才能がなかったとしても、自信がなかったとしても、好きなモノは好きでいい。

好きなモノを自覚できても、できなくとも…向き合えるものがあるなら、それでいいんじゃないかなって。

そんなことを思った。

 

もしかしたら、私が「文章を書くことが好き」と言うための言い訳かもしれないけれど…        

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