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コインランドリーで洗濯を手伝ったら、思わぬところから…

こんにちは、愛弓です。

セラピストになったばかりの頃、私は毎週、コインランドリーに通っていました。

そこで偶然出会った方のお洗濯を手伝ったら、予想外にご縁が広がっていきました。

今日は、その時のお話と、

当時のことを思い出いながら思った、下記の2つのことをお話していこうと思います。

  1. 優しさや思いやりなんて、自分では気づきにくいものなのかもしれない。でも、誰かにとっては嬉しくて、心温まることなのかも。

  2. 自分の持つ優しさ・思いやりを否定したり、自分を低く見積もらなきゃいけないようなアンバランスな人間関係ではなく、お互いを尊重できる心地よい人間関係にシフトしていこう。

コインランドリーで洗濯を手伝ったら、思わぬところから…

これはまだ、私がセラピストになったばかりの頃のお話。

当時はまだ、お客様の施術に入れるようになる前だったか…やっと新規のお客様に施術できるようになったばかりの頃か…それくらいの頃だったと思います。

毎週、同じ曜日の午前中、徒歩15分くらいの場所にあるコインランドリーに通っていました。

施術に使うタオル、お客様のお着替え…一週間分の洗濯物を大きな2つのカバンに詰め込んで、洗濯に行っていました。


私はこの洗濯に行く時間がけっこう好きで、コインランドリーで出会った人たちと話したりしていました。

コインランドリーで洗濯を手伝ったら、偶然にも、昔の常連さんだったらしい…

ある日、洗濯をしてると、30~40代くらいの女性がやってきました。

いつものように、勇気を出して声をかけ、話しながら時間をつぶしていました。


洗濯が終わり、乾燥機をまわし始めた頃、今度は大きな布団を持った2人の女性がやってきました。

年齢はわからないものの、『初めに話していた女性より年上だろうな…』という感じで…。一人は、優しくてかわいいおばあちゃんという印象の「先生」と呼ばれる女性でした。

洗濯機の使い方に迷っていたので、声をかけて、洗濯を手伝いました。

そして、『彼女たちの洗濯が終わる頃には、もう自分がいないだろう』と思い、乾燥機の使い方も説明しました。

彼女たちはすごく喜んで「ありがとう」と言ってくれて…私も、なんだか嬉しくなりました。


私の洗濯が終わり、洗濯物をたたみ始めても、彼女たちはなかなか戻ってきませんでした。洗濯機は、まだ動いたまま。

『ちゃんと乾燥機使えるかな?』『迷わないかな?』『大丈夫かな?』と、心配でしょうがなかった私は、ゆっくりと洗濯物をたたみました。

そして、最後の数枚をたたまず、彼女たちを待ちました。

最後の数枚をたたまなかったのは、洗濯が終わっていなければ、帰りが少し遅くなった言い訳をできると思ったから。

そして、心配で待っていたことで、彼女達に気を使わせてしまうのが嫌だったから。


彼女たちは戻ってくると、『もしかして、待っててくれたの?』と驚き、喜んでくれました。

でも私は、「ただ洗濯してただけなので…」とごまかして笑い、そのまま乾燥機が使えるのを見守ったような気がします。


ずっと話していた30~40代女性が、私の職場の話をしました。

私が「近所のマッサージ店で働いていて…」と伝えると、先生とお弟子さんはお店のことを知っていて…以前は通っていたけど、最近は行ってないのだと教えてくれました。

『こんな偶然もあるんだな~』と思いながら、急いでお店に戻りました。

縁は広がり…いろんな人に褒めてもらえた。

コインランドリーでの出来事も忘れて、数日が立ったある日。

仕事帰りに電車に乗ってると、別店舗にいるオーナーから連絡がきました。


『あれ? 私、何か悪いことしたかな??』と不安になって過去を振り返り…。思い出したのは、コインランドリーでの出来事。

『もしかしたら、お店帰るのが遅かったことがバレたのかな?』

『まだ研修期間だし…もしかしてクビ??』

『え…。もしかしたら、自分でも気づいてないところで、怒らせるようなことしちゃったのかな??』

何を言われるのか恐くて、不安な気持ちがどんどん膨らんでいった。


途中下車して、急いで電話すると…オーナーはいくつかの質問をしてきました。

質問は内容は、コインランドリーでのことばかり。

『怒られる!』と恐がってた私も、さすがに、質問内容やオーナーの声色から怒りを感じることはなく、『なんだろう?』とと不思議に思いました。


どうやら、コインランドリーで出会った先生は、オーナーがそこで働いていた頃の…昔の常連さんだったようで。あの日のことがきっかけで、オーナーのところに治療・施術を受けに行ったのだとか。

そして、私のことを話して、すごく感謝してくれていたんだそう。

オーナーは、「それを聞いて、すごく鼻が高かった」と言いながら、喜んでくれました。


その後も何度か、彼女たちは私のいる店舗にも足を運んでくれていたようで…先輩たちから先生の話をされることもありました。

ちょうど、私がお休みの日にいらっしゃることが多くて、会うことはできないままでしたが…

まだ、ほとんどお客様に施術することもできず、ましてや、自分を指名してくれるお客様や、自分に会いに来てくれる人がいなかった当時の私にとって、すごくうれしかったです、


コインランドリーでの帰り際、「近所だから、遊びにいらっしゃい。洗濯をしてる間でもいいから」と先生は言ってくれました。

当時の私は、先生の言葉を社交辞令だと受け取っていて、実際に先生のお宅を訪れることはありませんでした。

まぁ、1度だけ『行ってみようかな』と思ったことっもあるのですが、先生のお宅が立派すぎて、緊張してしまったというのもありますが…

今になって思うと…

私も先生がすごく喜んでくれて、ほめてくれて、何度もお店に来てくれて…私もすごくうれしかったんですよね。

だから、「ありがとう」と伝えに行けばよかったかなと。もう1度、会いたかったなと思います。

②優しさ・思いやりなんて、自分では気づきにくいものかもしれない。

ふとした瞬間に、当時のことを思い出しました。

当時の私は、

  • 自分以外の誰も知らない『あの時間は、仕事をサボっていたことになるんだろうな…』という隠しておかなきゃいけない秘密を抱えたことと、
  • 彼女たちが喜んでくれて、うれしかったこと。幸せな気分になれたこと。
  • とりあえず、『オーナーに怒られなくてよかった』と安堵したこと。

この3つだけを認識していて、この時の体験のことは忘れていました。


今になって思うと、あの時の私は、『ちゃんと乾燥機も使えるかな?』とか『使い方がわからなくて、困ったりしないかな?』と、すごく心配だったんですよね。

『仕事中なんだから、早く洗濯を終わらせて、お店に帰らなきゃいけない。それが社会人なんだろうな…』と思い、すごく迷いました。

でも私は、洗濯してるフリをしながらでも、彼女たちが乾燥機を使えるのを確認することにしました。

彼女たちに、『気を使わせてしまったんじゃないか』と思わせたくなかったこともあり、『別に待ってたわけじゃないよ~』と洗濯物を残して待っていました。


それは、私なりの優しさや心配りのようなものだったのかもしれません。

でも、当時の私は、そんなことを考えもしませんでした。


それは私にとって、優しさでも心遣いでもなく、ただ当たり前のことだったんです。

もっと言えば、私が勝手に心配して、(相手のために)『自分がやりたい』と思っての行動です。

自分の中で勝手に悩み、勝手に自分のやりたいことをやっただけだと思っていました。

だから私は、「ありがとう」という言葉を受け取って『どういたしまして』と思うこともなく…ただ、「ただ洗濯してただけなので…」とごまかして笑いました。


だけどこの時、彼女たちはそんな私に、感謝し続けてくれました。私が恥ずかしくなるほど、オーバーすぎるほど、褒めてくれました。

さらに、オーナーのところにまで行って、私の話をしてくれて。

私に会いに店舗にも来て、会えなかったことを残念がってくれたり、上司・先輩たちにまで私の話をしてくれました。

そして、それを聞いた上司や先輩も褒めてくれて。

オーナーは、私のそういう部分を褒めてくれただけではなく、「これからも大切にしていきなさい」と言ってくれたような気がします。


私はたぶん、自分の優しさ・心配りには気づきにくいんだろうなと思います。

だからこそ、それに気づいてくれた人たちが、それをすくいあげてくれるような体験がありがたかったし、嬉しかったなって。


私にとっては、日常的な、ごく普通の感覚です。特別な優しさでも、心配りでもありません。

正直なところ、これが本当に優しさや思いやりなのか…いまだに、自分ではよくわからない部分ではあります。

でも、優しさや思いやりって、そんなものなのかもしれないなとも思います(^^;

自分では何気ない些細な行動だけど、人によっては、それがものすごく嬉しくて、心温まるようなことなの簡素入れないなって。


そんな小さな優しさを1つ1つすくいあげてくれる人たちがたくさんいて、そういう環境で働くことができる。

だから私は、セラピストという仕事が好きだったし、『天職だ』と信じて疑うことがなかったのかもしれないなと…そんなことも思いました。

② 優しさ・思いやりを否定して自分を低く見積もる関係から、お互いを尊重しあえる環境へ。

過去を振り返ってみると…

私は、自分のそういう側面を褒められたことがなかったんです。

いや、「ありがとう」と言ってくれたり、喜んでくれた人たちは何人もいました。

でも、私は、その気持ちをちゃんと受け止めることができなかった。。

学校の先生や母の書くコメントには、「やさしさ・思いやり」の言葉が多かったようにも思います。

でも、私は、『褒めるところがなくて困った挙句、無理やり書いてるんだ』と思っていました。


今までだって、ちゃんと私なりの優しさ・心配りに気づいてくれてる人たちもいました。

でも、中には、それを当たり前だと思ってさらに過剰に求めてくる人たちや、思い通りいかないと罵倒するような人たちもいました。

そういう一部の人たちの言葉をうのみにした私は、子供のころからずっと、『自分は人に優しくできない、いじわるな人間だ』とか『人の気持ちを考えたり、気遣うことのできない人間なんだ』と思い込んでいました。

離れられなかったのは、自分の優しさ・思いやりを認識できず、バランスの崩れた関係も通常だと思い込んでいたから。

実は、ここ数年、『自分は人に優しくできない、いじわるな人間だ』と思うことが増ました。


それは、誰に対しても優しくできないわけではありません。

特定の人たちに対して、優しく接することができなくて、ついついイジワルな反応をしてしまうことがあって…そのたびに自分の言葉を訂正したり、謝ったり、後悔して、ダメな自分を責めていました。

時には、タイミングをのがして謝ったり訂正することができず、ただひたすら後悔して自分を責めてしまうこともありました。


でもね、今までにどうしても優しく接することのできなかった相手を振り返ってみると、同じような特徴がある人がたくさんいたんですよね。

例えば…

  • 優しさ・心遣いに気づかず、それを当たり前のことと考えていたり、それ以上のことを求め続けてくる人。
  • 優しさ・心遣いを、『この人はこういう人なんだな~』くらいに思っていて、なんとも思わない人。ただ搾取しようとする人。
  • その優しさ・心遣いがあること『当たり前だ』と思いこみ、自分の思うように接してもらえないと、罵倒してくる人。


こうやって考えてみると、『どうして、そんな人と一緒にいるの??』と不思議に思うんですよね。

そういう状況にいる人に気づくと、私は、『(その人を)守りたい・救出したい』と思ったり、傷つけるような言動をとってる人に不快感を覚えることが多いような気がします。

でも私自身は、そういう人たちと一緒に居続けたし、そこから逃げようとはしなかったんですよね。


それは、私自身が、自分の優しさを『優しさ』と認識していなかったし、自分が誰かのことを思っての行動・心配りを『心配り』とは認識せず…ただ『自分がやりたいことをやってるだけだ』と思っていたから。

そして、子供のころからずっと、優しさ・心配りを過剰に求められたり、足りなければ罵倒されたりするような…そんな小さな人間関係が身近にあったから。それを否定することは、家族を否定することでもあったから。

自分が『心地よい』と思えるバランスの関係性にシフトしたほうがいい。

私は今でも、『誰かのために、やってあげる』みたいな考え方はあまり好きじゃなくて…

『「(誰かのために)やってあげたい」と自分が思ったから、やってるだけ』みたいな感覚でいるほうが好きです。

別に、それを変えなきゃいけないとは思ってないんです。

でもね、自分が『やりたい』と思ったことであっても、誰かのためを思っての行動であることに変わりはないんですよね。


人ってお互いに支えあってるし、私自身もたくさんの人たちに助けられ、支えられ…いろんな人たちの優しさや心配りの中で生きてきました。

中には、私が気付くことのできない優しさ・心配りだって、たくさんあったと思います。

だから、相手が気付いてくれないことがあるのも、しょうがないことだと思うし、お互い様だと思っています。


でもね、それがお互い様な人間関係もあれば、それが一方通行になったりバランスを崩してる人間関係もあるんですよね。きっと。


  • 優しさ・心遣いに気づかず、それを当たり前のことと考えていたり、それ以上のことを求め続けてくる人。
  • 優しさ・心遣いを、『この人はこういう人なんだな~』くらいに思っていて、なんとも思わない人。
  • その優しさ・心遣いがあること当たり前だと思い、自分の思うように接してもらえないと、罵倒してくる人。
  • 優しさ・心遣いに気づかず、『もらった分しか返さない』精神で、「僕はこんなに~してるのに、君は何もしてくれない」みたいに言ってしまう人。

そういう人たちの中で、『自分には優しさや、相手を思いやる気持ちがないんだ…』と思ったり、傷ついても一人で我慢し続けたり、自分を低く見積もったりする必要はないんだよね。

むしろ、そんな環境は離れて、自分の優しさや思いやり・心配り…そういうものを大切にしてれる人たちと過ごしたほうがいいなって。


例えば、『お互い様』の関係が崩れて、自分が優しや・相手を思いやる気持ちを出し惜しみしちゃう。

そんな環境で自分の持つ優しさ・心配りができなくなってしまうくらいなら…それが苦しいのなら、優しさ・心配りをお互いに大切にできる関係性のある場所に移動すればいい。

どちらが優れてるとかじゃなくて…ただ、自分が『心地よい』と思える関係性がいいかなって。

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